【第1009回】 朝の目覚めを楽しみに

高齢になると楽しみがなくなってくる。旅行をしようとか、あれをやろう、これもやりたい、美味しいモノを食べたいとかという気持ちになれなくなってくる。その上、体も以前のように動かなくなり、活動範囲、生活領域が狭まってくる。若者から見ればかわいそうに見えるだろうし、若い頃の己自身と比べても寂しいかぎりである。

しかし、この高齢者も楽しみながら生きることが出来るようである。もしかすると若者達よりも毎日を楽しむことができるかも知れないのである。つまり、若者にはなかなか出来ないような日々を、高齢者故は楽しむ事ができるということである。

前回第1008回論文『一流の人からは学ぶ事が多い』で、大東流合気柔術の佐川幸義先生の言葉「毎朝、めざめるときが、いちばん楽しみだね。あたらしい技が身内へ飛びこんでくるんだ。」を引用した。
この言葉に魅かれたのは、実は私自身が毎朝体験しているからである。
朝は六時に起きるようにしているが、30分前には目覚めるが夢うつつが続く。あちらの世界とこちらの世界を漂っている状態ということである。そして今日はこれをやれとかこの技をやれとか、これを探究しろとか修正しろなどの何ものかの無声の“声”がするのである。ほぼ毎朝、その声があるが無い場合もある。しかし、その後の禊をしていると新たな“教え”があるから心配ない。
目覚めの際の“声”は禊ぎで試し、そして道場の相対稽古で試す事になるわけである。

若い頃、学校に通ったり、会社勤めの頃はそんな余裕はないから、これは高齢者の特権という事になる。若者で朝の目覚めを楽しみに寝る人はほとんどいないだろう。高齢者には可能である。勿論、高齢者であればすべての人が目ざめを楽しみにしてはいないだろう。目覚めを楽しみにするには一つの条件があると考えるからである。それはあるモノ、何かに挑戦していることである。今回の場合は、大東流柔術や合気道であったが、絵画、芸能、学術研究などなどすべての分野で挑戦をしている高齢者には可能性があるはずである。恐らく、多くの方々は朝の目覚めを楽しんでおられるのではないかと思っている。

高齢になると、新しいことを教えて貰い、それが身につくほど嬉しい事はない。若者と違い、車や着るモノを買ってもらったり、豪華な食事をご馳走になるより嬉しいのである。
これが高齢者の最高の生き方であり、生きる原動力だと考える。朝の目覚めを楽しみにしていきたいものである。