【第1002回】 魂に近づく

気が分かってきて、気の技がつかえるようになると技はこれまでのと違ってくる。異質の技になる。合気道の技を使っているという気持ちになる。これまでも合気道の技を使って投げたり、決めたりしていたわけだが、いま一つ満足できるものではなかった。その理由は今なら分かる。所謂、魄の力で技を使っていたからである。どんなに素晴らしい合気の技でも魄力でやっては、他の武道やスポーツと変わらないということで、合気道の技は合気道でしか出来ない魄以外の力をつかわなければならないということである。

気で相手を凝結させ、ひっつけて技を使えるようになると、次の目標に向か事になる。魂である。何とか魂で技を使いたいと思うわけである。しかし、魂も気同様に目では見えないので、その正体は掴みにくいし、教えて貰うのも難しい。それでは魂を知り、使えるようになるにはどうすればいいかということになる。
結論は、気でもやったように、まずは己が出来る限りそれ(魂)に挑戦することである。ああでもない、こうでもない、これが魂か等々試行錯誤しながら技をつかい、頭と体を駆使するのである。もう一つは、大先生の教えに出会う、見つける事である。大体我々が知りたい事は、大先生が『武産合気』『合気神髄』などで教えて下さっているのである。気もそうだったように。

さて、これまで知りたいと思っていた“魂”に近づく事ができるようになったので、その経緯と魂の正体を記してみたいと思う。
私は呼吸法、特に、片手取り呼吸法を繰り返し繰り返し稽古をしている。この稽古によって、技の法則を見つけ、身につけ、息づかいを覚え、また、“気“を発見し、身につけたのである。
そして“魂”もこの片手取り呼吸法で見つけたのである。こそが魂であるということである。
合気道の技は無から一つの完成品を創造するわけだから、布斗麻邇御霊で技をつかう事になる。そしてと“あおうえい”の言霊で片手取り呼吸法の技を使うと、不思議な現象が起きるようになったのである。からができ、腰から背中を上がってきて、手に接している相手が自然と浮き上がってくるようになったのである。こちらが上げようと作為しているわけでなく、自然と上がるのである。当初は、多少力が付いたので相手は浮き上がったのだろうと思っていたが、これは若しかして“魂”の働きではないかと考えたのである。
これが魂であるということではないかと考えていたところ、偶然に大先生の次の教えに出会ったのである。このような偶然はこれまでもあった事なのでそれほど驚いてはいないが、感謝々々である。神様、守護神に感謝である。
「ちょうど伊予の二名島の国造りの折に、吐く息は空水となって、空に昇っていって満天に拡がっていきます。その三角の気が昇り、その気の中に武道でいう自分の魂の気が存在するのであります。すなわち魂が、その中に入っているのです。合気道は魂の学びであります。ちょうど丸に十を書いて三角が四つ寄っております。これは魂が剣と槍となっております。」(合気神髄P22)

伊予の二名島とはであり、丸に十を書いて三角が四つ寄っており、この中に魂が入っているという事なのである。つまり、は魂となるわけである。そして魂が剣と槍となっているわけだから強いわけである。
最近では、片手取り呼吸法だけでなく、半身半立ち四方投げや後両肩取り等でもの魂が使えるようになったようである。

ようやく“魂”に近づくことができた。これを手始めとして更なる精進をしなければならない。