【第941回】 プロセスが大事

現在はますます忙しい世の中になってきた。合気道を始めた半世紀前と比べても、生活も稽古も忙しくなっている。これは世の中が魄の次元、物質文明の世界にあるからだと合気道は教え、警告している。結果が大事で、結果をすこしでも早く出す事をよしとしている。極端なことを云えば、悪いことをしても金持ちになろうという風潮である。ビジネスの世界では、仕事はプロセスより成果が重視される。合気道でも、魄の次元の稽古では技が効く、相手を投げる、決める等の結果を求め、重視している。

合気道の稽古・修業は魄の稽古から気・魂の学びへ移っていかなければならない。気・魂の次元に入るとプロセスを楽しみ、プロセスを重視するようにする。プロセスの結果、相対稽古の受けの相手がその結果を示してくれるのである。
名画を見ても、名曲を聞いても魄の次元では綺麗だ、素晴らしいと感動するで終わりであろう。幽界や神界の次の次元にいれば、どのような人が、どのように作成したのかとその作者の気持ちとその制作のプロセスを知りたくなる。

街を多くの人が歩いているし、電車に乗っても多くの乗客を見る。魄、物質文明の目で見れば、他人であり、自分と直接関係なく、その意味で皆同じである。違いがあるとすれば、美人だとか、年を取っているとか、服装がどうのと外見的特徴を見る。
しかし、目には見えない目で見ると、どんな人でも自分とは違う履歴の人生を持っていることが見えてくる。誰でも自伝が書けるような豊かな人生を持っているのである。今ある姿はそれまでの生きて来たプロセスの結果の一瞬なのである。

合気道の道場稽古でもみんな一生懸命に稽古し、技を掛け合ったいるが、上手くいくのも、いかないのもそれまでの稽古のプロセスの結果なのである。どのような事をどれだけ真剣にやってきたかが技に出るわけである。
しかし、プロセスにも間違ったり、不必要や、遠回りしたプロセスもある。プロセスのその間違いに気づいたり気づかなければ悲劇であるが、気づいて修正できればその間違い、遠回りはプラスに働き、プロセスの一環となる。
正しいプロセスを有したり、プロセスの修正のためには、よき指導者が必要である。ある処までは指導して下さるはずである。しかし最後は自分自身が自分を指導しなければならなくなる。この最後の頃には指導者がいなくなり、自分自身が最古参になっているはずだからである。

何時か必ず終わりが来る。合気道の修業でも人生でも終わりがくる。まだ来ていないので想像するしかないが、その時まず思う事は、合気道の修業に満足しているか、人生を満喫したかであるだろう。合気道はどんなに上達したとしても不完全であることは間違いないし、人生も裕福で名声を得ていることもないだろう。しかし最後には合気道も人生も満足したと自分に言えると確信している。
その理由は、合気道の技の錬磨も人生もプロセスを大事にしてきたつもりであるからである。結果はそのプロセスの結果であるから、結果はどうでもいいのである。
プロセスとその結果は自分の才と努力、そして運によると考えるが、そのプロセスに満足するということは、己の才を精一杯つかい努力したということであり、そして才と努力が運を呼び寄せてくれたと考えている。合気道を知った事、大先生と大先生の教えに接した事などの運である。

最後に後悔がないように、これからもプロセスを大事にしていきたいと思う。