【第941回】 息陰陽と手

息陰陽に関しては以前に何度も書いている。そこで何故同じテーマを何回も書く事になるのかを考えてみた。それは技の会得の過程と関係があるようだ。
合気道の稽古を合気道の技を練って、身に着けていくことである。技はすぐに、容易に身に着くものではなく、やるべき事の過程がある。大きく三つの過程があると思う。三段階といってもいいだろう。
一つ目は、技に法則を見つけることである。例えば、足は右、左、右・・・と規則的に陰陽(後ろの陰の足を出し陽とし、その陽の足が陰になる・・・)である。二つ目は、その陰陽の法則を単独、そして相対稽古で試し、実践し、確かめる事。三つ目は、法則であるという確証と不可欠性の確認である。確かにこの法則は正しいし、技で表わす事ができるし、この法則を無視することはできないという確証を得ることである。
同じテーマの論文を複数回書いた原因は、一つ目の段階で法則の発見を書き、二つ目の段階での法則の実践の様子を書き、そして三つ目の段階でこの法則は間違いないし、必須であると確証を書いたということになる。どの段階においても新たな発見があれば書きたくなるという人の本能によるのだろう。

今回は云うならば第三段階の息陰陽ということになるだろう。
まず確実になったことは、技を掛ける手は強靭でなければならないことである。強靭な手とは名刀のように折れ曲がらず、歪まない手である。しかし手は骨と肉で出来ているわけだから鋼のようにはならない。だが、肉体の手を鋼のように強靱にしなければならないのである。
このパラドックスの問題を解決するのが大先生の教えの“息陰陽”なのである。“息陰陽”によって鋼のような強靱な手をつくり、つかうのである。後で確信するわけだが、手を鋼のよう、名刀のように強靱にできるのはこの“息陰陽”だけであると思うのである。

“息陰陽”とは、まず息を引き、そして息を吐く。引く(陰)が先で吐く(陽)が後ということである。但し、この息というのは布斗麻邇御霊のイキである。引くイキ、吐くイキである。布斗麻邇御霊のイキの順序も陰(引く)→陽(吐く)である。
手はこの息に合わせてつかうことになる。陰陽の手となる。つまり、

この息陰陽で強靭な手をつくり、技をつかっていくつもりである。