【第940回】 心と肉体と気の鍛練

年を取ってくると肉体的な力は衰えてくる。これは誰にでも、いつの時代でも、またどこでも共通する事実なので、言うなれば宇宙の法則である。
あるところまで若者相手に通用していた力が効かなくなってくる。何んとかしようと悪戦苦闘するが、結局、己の力の限界を悟る。
ここで悩む事になる。どんなに頑張っても最早、力不足で力の強い若い相手が倒せなくなってしまい、これ以上稽古を続けても強くなる可能性がないわけだから、稽古を辞めてしまおうかと思うのである。しかし、まだ続けたいという気持ちも心のどこかにあるようで、もやもやしながら稽古を続けることになる。

これは私自身の実体験であるが、他の稽古人にも当てはまるはずである。
ここまでは同じでも、ここからは違ってくるだろう。他人の事はわからないから己の事を書くことにする。
まず考えたことは、稽古を続ければ続けるほど強くなり、上手くなるはずだということである。武道の名人、達人や強い先輩達はそうしてきたはずであるからである。年を取って力が衰えたことは事実であるが、稽古を続ける事によって更に強くなっていった、つまり力がついたということである。肉体的な力が衰えたが、更なる力を身に着けたということである。肉体的な力よりもより強力な力をつけていったということである。そのために稽古を続けたのである。年と共に力が弱くなっていくだけだったら、誰も年を取り力が弱くなったら稽古・修業をしなくなったはずだ。

稽古は続けなければならないが、それまでのように只、稽古をすればいいということではない。それまでは稽古をすればするほど肉体的な力がついたが、更なる力をつけるために、今度は理合いの稽古をし続けなければならないのである。理合いとは大先生の教えに合することであり、真理である。
大先生が、「合気道は真理の道である。合気道の鍛錬は真理の鍛錬であって、神業を生じるのである。」(合気神髄 P.178)と言われているように、真理の鍛錬をしていけば神業が生じるといわれているわけだから、これまでの肉体的な力とは比べ物にならない神業と力が生ずることになるわけである。神業には肉体的な力は太刀打ちできない。

そのために、大先生は「合気道は、心と肉体と気の三つの鍛練を実行してこそ、真理の力が身心に加わるのである。」(合気神髄 P.179)と教えておられるので、心と肉体と気の三つの鍛練をしなければならない。心と肉体と、それを結ぶ気の三つが完全に一致して、しかも宇宙万有の活動と調和しなければならないのである。
これまで宇宙の心、宇宙楽園建設の生成化育等の心の調和や宇宙の法則に則った体づかいに努めてきたわけだが、これからは気によってその心と肉体を気の妙用によって調和し、また個人と全宇宙との関係を調和するようにしなければならないのである。ということは、心と肉体、個人と宇宙を結ぶ気が大事になる。これまでようやく身についてきた気をつかい、更なる力を出すのである。つまり、肉体的な力を越える、真理の力や宇宙の力を産み出し、働いてもらうためには更なる気の鍛練が必要になる。このために稽古を続けなければならないし、終わりがないことになるのである。
年を取っていっても、心と肉体と気の鍛練をしていけば、若い頃の肉体的な力以上の力を得、そしてつかう事ができるということである。