【第940回】 剛柔流の手をつくる

これまでは鉄棒のような頑強な手をつくり、技をつかわなければならないと書いてきた。過って関取の天竜さんが掴んでもびくともしなかった大先生の頑強な手である。大先生のような頑強な手に我々凡人にはならないだろうが、少しでも大先生のように近づけることが重要であり、必要であると考える。
大先生の手は頑強なだけでなく、柔らかさもあり相手をくっつけてしまったり、更に大先生の手が相手に触れずして相手が倒れてしまうような手をつかわれておられた。
つまり、大先生の頑強な手は剛の手、柔の手、流の手であり、また、これらが合体した剛柔流の手であったということだと考える。ようやく最近分かった事である。

剛の手とは、人体で云えば骨主体の手の働きである。鉱物のような手である。
柔の手とは、肉主体の手の働きである。骨の上にある肉が働く手である。鉱物に対して植物のような手である。骨が土台になり、その上の肉が働くのである。
流の手とは水(流)、気主体で働く手である。骨、肉の土台の上にくる水や気で働く手である。
剛柔流と骨肉水・気の関係を図にすると下記のようになる。

理想的な手は剛柔流を兼ね備えた手であるが、そのような手を一度につくるのは凡人には難しいので、一つづつつくっていけばいいと考える。
まず、剛の手をつくる。骨を意識し、骨、関節で体と技をつかうのである。骨っぽい、鉱物的な技になる。大事な事は息づかいで手の骨と関節を伸ばしたり、拡げてつかい、鍛えるのである。息づかいはイクムスビである。
柔の手は、骨の上に肉があると思い、骨を土台として肉主体で体と技をつかうのである。骨主体の剛よりも柔らかい技になるが、芯の骨がしっかりしていれば柔らかでも大きな力が働くはずである。
流の手は、骨とその上にある肉の上に出る気である。気が難しくて想像できなければみずが骨の上の肉を覆っていると思えばいい。骨と肉が十分鍛えられれば水、そして気が生まれてくるはずである。骨や肉ではないモノで強力な力が出、技がつかえるようになるのである。これまでにない不思議な気持ちになるだろう。

剛柔でつくる手は関節と肉で構成され、働いてくれるから関節を鍛える必要がある。主な手の関節は指、手首、肘、肩、胸鎖関節であるから、この各々を鍛えるのである。イクムスビの息づかいに合わせて伸ばし→拡げ→伸ばすと腹中の息づかいでやるのである。骨を主体に意識し、そして肉・筋肉を意識して鍛えるのである。しかし気持ちを入れて己の限界までやらなければ鍛えられない。
剛柔で手が鍛えられ、剛柔の手ができてくると流の手も出来るようになるはずである。先ずは剛柔の頑強な手をつくることである。

手だけでなく、足も同じように鍛えればいいだろう。剛柔流の手、剛柔流の足、そして剛柔流の体をつくることである。