【第942回】 動きを止めない、技を切らない

真剣に力一杯に技を掛け合うとわかるが、合気道の技はそう簡単に掛からないものである。お互いが技を掛け合い、受けをとり合いしている内はわからないのである。己自身が体験しているからそれがよく分かる。
そしてどうなるかというと、お互いに投げ合い、受けをとり合っていると自分の技は効くと思うようになるのである。そしてそのつもりで力の強い相手に掛けてみると全然効かない事が分かるのである。
そしてここから本格的な稽古に入るわけであるが、これが容易ではない。これも己自身の体験なので間違いない。

この好例は二教裏であろう。初めは相手も力を抜き受けてくれるが、こちらに力がついて力を込めるようになると、受けの相手も力を込めて頑張るようになる。相当な力があればきめることができるが、相手との力の差が相当なければきまらないし、差があっても、すぐにその差は縮まるので、またきまらなくなるのである。
大体はこの拮抗状態にあるはずである。そして相手に頑張られないように、こちらも力を抜いて二教を掛けるようになるわけである。

初心者の段階、所謂、顕界、魄の次元の稽古はこれでいいだろうが、真の合気道に進みたいなら全身全霊、力いっぱいの技づかい、体づかいの稽古をしなければならないと考える。
多くの上級者の稽古人は力いっぱいの稽古をしたいと思っていることは分かっている。しかしどうすればいいのかが分からないのである。私自身もそうだったからそれがよく分かる。思い切りやらなければ武道としての合気道の稽古をしていると思えないからである。

この頃は二教裏も力一杯掛け合っている。相手に思いっきり頑張らせ、また相手にも思い切り掛けさせるのである。
その結果は、私の二教は効くが、ほとんどの相手の二教は効かないのである。正確には、まだ効かないのである。
そこで私のが効いて、相手のが効かないの違いが何処から来るのかを考えてみると次の事が分かってきた。相手は稽古年数からいっても後輩であるが、その理由だけではない。

相手の動きは一度止まり、技が切れることである。私の動きは動き続けて止まらないし、技が切れないのである。動きが止まると、次の動きまで間が空き隙ができ、そこを相手(私)に頑張れてしまうのである。この頑張られている状態でいくら力を入れても決まらないのである。これを後進達はやっているわけである。

そこで相手の動きはどうして止まるのかを観察すると、その原因は息づかいにある事がわかる。息が切れる事である。息を切らないようにすればいいのである。私は無意識のうちに切れない息づかいをし、切れない動きになっていたので二教が効くのである。

それでは、何故、息が切れるのかというと、相手は力を出すために腹で息をしているためである。初心者は口の呼吸で技をつかっているが、これは問題外である。
腹で呼吸すれば必ず技(二教)の途中で息が切れる。力を発揮するためには腹呼吸は必須であるわけだから、どうして上手くいかないかという疑問が起こるだろう。

後で分かってくるはずだが、腹呼吸でやることは半分は正しいがもう半分が欠けているのである。半分と半分でまとまり完成するのである。それでは残りの半分は何かという事になる。それは胸式呼吸である。腹式呼吸と胸式呼吸が共に働かなければならないのである。
これは大先生の教えによるのである。合気道の技はフトマニ古事記でつかわなければならないということである。
吐く息のと引く息のでやるのである。息を出しながら腹中の息(気)を拡げるとその息(気)が胸に上がってくる。そして胸中が気で満たされる。同時にそれに従い相手の手先も浮いてくる。ここでに落とすととなり二教裏がきまるのである。
この息づかいでやれば息も動きも技も切れないのである。一呼吸で一つの技(二教裏)が完遂するのである。

二教裏はこの息づかいの鍛練と動き・技を切らない鍛錬に最適な技であると考える。
この息づかいができれば、二教裏をどんなにゆっくりやっても効くようになる。勿論、速くも出来る。つまり、正しい息づかいをしていれば、速い遅いも関係ないということである。
二教裏がで出来るようになれば、他のすべての技で出来るようにすればいい。片手取り呼吸法や諸手取呼吸法でもより上手くいくはずである。それまで上手く出来なかったのは、の息づかいが欠けていたことが分かるだろう。